作家の命日には桜桃忌や檸檬忌など(乱歩は石榴忌らしい)作品などにちなんだ名を冠した<文学忌>がつけられています。
では、吉屋信子の文学忌はなんというのか?リスペクトしているといいつつ、知らなかったわたしはネットで検索、名前そのまま<信子忌>でありました。
意外というか、何か物足りないように思うわたしは、「花物語」の第一話「鈴蘭」にちなんで<鈴蘭忌>と名づけて偲びたいと思うのでした。
……こんなことを書く気になったのは、西條八十の「人食いバラ」(ゆまに書房)を読み返していて(ミステリーなのに、何度読んでも面白い!こういうのを愛読書というんだろうか)その本に挟んであった出版案内を見て、ハッとしたからです。
(この「返らぬ日」を買って、もう20年も経つのか……ということも感慨深い。その横の「大正文学全集」も気になるところ)
今年は没後五十年!
けして忘れていたわけではないのです…1973年に亡くなったというのはもちろん知っていましたが、日付は失念……。
1973年7月11日(この日に書くべきだった……)
関東大震災から100年も書いたんだから、信子の没後50年も書かなければ!と思った次第。
この没後三十年記念で出た中の「返らぬ日」がわたしが最初に読んだ吉屋信子作品でした。それは「花物語」より後に書かれた作品で、「花物語」よりも濃密で妖艶といってもいい雰囲気で(「花物語」が正調・清純派なら、「返らぬ日」は乱調・耽美派)、強烈な印象でした。
何が強烈かって、擬古典調というのか、文法的にはどうなのか?と思う独特の言い回し。
「~ふたりはあの伝習的(コンベンショナル)な凡庸な自然への反逆の烽火をあげる子達になりたくない?」
<ぎやまんめきしふらんすどあ>
<ふらっしゅばっくの眼まぐるしいシネマのすくりん>
<すらりと湯気の靄の中に立った一糸もまとわぬこれやこれ処女裸身の像!>
解説でも書かれている通り、これは<バロック>、ゆがんだ美なのだと。
ここで書きたいのは「返らぬ日」についてではなく、没後三十年では、こんな立派なハードカバーで復刻版の少女小説選が出ていたが、没後五十年の今年はどうだったのか?について。
出版物では、河出文庫から「返らぬ日」「わすれなぐさ」「紅雀」が夏に出ていました。
あとは信子の記念館や、ゆかりの栃木で没後五十年を記念した展示があった模様。
ハードカバーではなく文庫本、しかも本の装画は現代のイラストレーターで、わたしのようなレトロ好きな心をくすぐる復刻的なものではないのが少し残念。