思い立って、橿原神宮へ行くことにした。
橿原神宮は乗り換えに次ぐ乗り換えで、行くのが不便だと思って、今までずっと行ったことがなかった。
それは旅だった…。
大阪から一時間ちょっとで行けるのに、どこが旅やねんって感じやけども、出不精なインドア人間な自分にとって、そんな不案内なところに行くのは旅だった…。
奈良でも京都でも、非日常を味わえる歴史的なところへ、すぐに行けるのは素晴らしいが、今回みたいに思い立って(前日に)、パッと行くなんてことはしない、思い切りが悪い。
近鉄に乗って、電車の行き先表示が<名張>や<五十鈴川>というのを見て、三重やないか…そんなところまで…と、軽く衝撃を受けた。
もちろん橿原神宮へ行こうと思い立った理由は、「まひるの月を追いかけて」に旅情と詩情を刺激されたから。
そんな小説の舞台に行ってみようなんて思うことも初めてだった。
寝る前にちんたら読んでいたけど、移動中も含めて、橿原神宮に着くまでに、<三.後れたる人の歌>までを読み終えていた。作中では石舞台に行っている。
その後、電車の待ち時間もあって、読み進んだ。
作品の雰囲気を味わうには、天気は今のように、すっきりしない空模様のほうがいい、雨が降っても全然かまわない、と思って行った。
そしたら…橿原神宮駅に近づくにつれ、雨が激しくなった。
車窓から見えた畝傍山の形は印象的だった。ピラミッドみたいといわれているのが、わかった気がした。
物語の舞台へと近づいたという高揚感もあったが…橿原神宮前駅の空はあまりに不穏だった。
駅の建物も素晴らしいし、この背景の鉛色の空が不穏で良い感じと思っているが、
こっちの写真では、降ってくる雨粒が白い線となって映っている。
ちょっとびっくり、降ってくる雨粒が撮れるなんてこと、今まであったろうか?(いや、ない)それぐらいに大粒の強雨だった。
強く降っていて、小雨になったかと思えば、だんだん陽が照りつけてきて、蝉が一斉に鳴き出した。そうなると蒸し暑さも増してくる…。カンカン照りより、こういう曇りがちのほうがマシと思って出かけてきたが、蒸し暑さには参った。
黄色いポスト。
その後ろに<令和二十二年は紀元二千七百年>と…そういうところなんだと改めて実感…にしても16年先…今は紀元二千六百八十四年だという。
立派な木の鳥居。
「まひる」では<巨大な木製の鳥居をくぐると、引き返せない、という言葉が頭に浮かんだ>とある。
社殿の向かいの休憩スペースに座って、本を取り出し、橿原神宮が出てくるところを読んだ。
<社殿のすぐ後ろに、緑の森に覆われたなだらかな山がある。その山の上を撫でるように雲が流れていた。>
そんな感じだろうか。
しばらく山を眺めていた。
<すぐそこにあるという感じに心を惹かれていた。まるで社殿をそっと背後から抱きかかえているような、やけに人間くさい感情が伝わってくる。>
金鵄おみくじを買った。
こんな動物の置物に入ったおみくじが好きで集めていたけど、最近買わなくなっていた…が、久しぶりに買った。鳥が好きだし、この金色がなんか有り難い。
金鵄とはトンビらしい。中吉だった。
そして帰る頃にはまた強雨。
<蘇やねん>というお菓子を買った、フィナンシェらしい、蘇といえばチーズのルーツ…そして橿原神宮御用菓子だと。
本当のところ、飛鳥まで行きたかったけれど、天気があまりに不穏だし、蒸し暑さに参って、行くのを断念した。橘寺は駅から遠いし、バスがあっても少なくて時間が合うとは限らないし…レンタサイクルも乗る気はしないし…。
以上、暑さに弱く、7月・8月は滅多に趣味的外出をしないわたしが不案内なところへ行ったという記録。