先週、天神さんの古本まつりで買った「近代おんな列伝」をぼちぼち読みながら、長谷川時雨の「近代美人伝」もぼちぼち読み返している。
「近代おんな列伝」にも長谷川時雨は<忘れられた女性作家>という題で取り上げられている。
「近代美人伝」は青空文庫でも一章ずつのテキストで読めるようになっている。
わたしが持っている「~美人伝」は、かつて四天王寺の古本まつりで買った古い岩波文庫版。
パラフィン紙が掛かっていたろうに、それもない、むき出しの状態。
この本に興味を持ったのは…大正時代の女性全般に興味があるからだけど、特に…<芳川鎌子>について知りたかったから…。
芳川鎌子とは…一言でいえば、お抱え運転手と鉄道心中した伯爵夫人…。
↓こんな「鐡道心中」という小説にもなっている。
実際の事件を下敷きにしているけども、ほとんど創作…(そしてこの本の装丁、なかなか凝っていた)。
…わたしはこの<芳川鎌子>の章のくだりのある一文を今、改めて噛み締めている…。
運転手の男と一緒に機関車に飛び込みを図るも、男だけ亡くなり、鎌子は一命をとりとめた…この事件は新聞をはじめ、世間に糾弾された。
平塚らいてうや与謝野晶子といった当時の女性の有識者はきびしくも同情的な意見(死ぬよりつらいことだろうが、二人で新生活を築く方法もあっただろう、というような)を述べているが、世間の大多数の女性たちは…ここで、そのある一文を引用しよう。
<因習にとらわれ不遇に泣いているような細君たちまでも、無智から来る、他人の欠点(あら)を罵れば我が身が高くでもなるような眺めかたで、彼女を不倫呼ばわりして、そういう女のあったのを女性全体の恥辱でもあるように言ってやまなかった>
淪落した女ほど鬼の首でも取ったように、鎌子をあげつらったという。
<他人の欠点を罵れば我が身が高くでもなるような眺めかた>
これは…いつの時代でもいる…今まさにそんなおばはんが身近にいる…それがわたしの鬱憤…精神的苦痛の一因である…。
なんというか、そんな話を聞かされるこちらのエネルギーも奪われるような…。
この<芳川鎌子>のその一文…<他人の欠点を罵れば我が身が高くでもなるような眺めかた>というのを思い出せば、そんな風になってはいけない、という戒めを感じて、何か背筋が伸びるような気がする。他人を罵っても我が身は上がらず、なんにも変わらない、むしろ程度の低さが露呈するというもの…。
いや…その手の手合いは、<他人の欠点を罵れば我が身が高くでもなるような眺めかた>をすることに疑問を持たず、そういう見方をして恥ずかしいと思わないし、我が身が高くなると思い込んでいる。いや…我が身を高いと思い込んでいるから人を貶めるようなことを平気でいえるんだろう…別にわたしが貶められたわけじゃないが気分悪くて仕方ない。