薄い紫の小さな花の集合体。
昔々、ヘリオトロープという名の香水がありました。(花から香料を取ったものでなく合成)
明治時代に日本に初めて入って来た香水とされ、明治・大正の文学作品には、この香水や花が出てくるものがあります。
中でも、夏目漱石の「三四郎」に出てくるのが知られているでしょうが、わたしに強烈な印象を残したのが、吉屋信子の「花物語」の「ヘリオトロープ」でした。
「花物語」は現行の本では、初出の雑誌連載時の年月日は不明ですが、この「ヘリオトロープ」のお話だけは、書かれた時期がはっきりしています。
このお話の末尾に
<十二年十月十四日しるす>
とあります。
関東大震災の翌月。
<心ありてか、なくてか、あわれ知らず知らず自然の凄まじい禍いを、きびしくも蒙りし都のさま―昨日に変わりしその面影―伝え聞く南欧ポンペイの廃墟もかくやとばかり~>
と始まります。
他のお話よりも、さらに擬古典風で硬質な文体なのも印象的。
主人公は友と焼け残った古本屋をめぐり、「Les sables du desert」(砂漠の砂)という詩が載った古い仏蘭西の雑誌を買って帰り、その詩を訳したという体で、ポンペイ噴火の惨禍に大震災を重ね合わせるような叙事詩が続きます。
一部引用。
南(みんなみ)の夢多き領土
美しの城ありて佳き姫棲みぬ
城園のほとり、市より購(かわ)れし奴隷三千
中に一人の少女(おとめ)あり
髪は暗黒色、瞳は憂愁の熱情
裳(もすそ)切れたる衣をまといて
靴を知らざる素足のまま
彼は佇む園中の泉のほとり
日も夜も仰ぎ見る城の窓
その窓に仄(ほの)かにかすかに影さすは姫の姿~(略)
白昼星雲空に現れて
陽は暈(かさ)しぬ
大地に轟く奇すしき音
見よ、城の塔はるけく聳(そび)ゆる火山
今や時来たれりと紅蓮の焔天を柱す
この奴隷の少女は必死に姫を探し求め、なんとか助け出しますが、翌日、姫の許婚の隣国の王子がやってきて、姫を自分の国へ連れてゆきます。
少女は忠義の奴隷だと褒美に金貨をたくさんもらいましたが、姫と引き離された少女は絶望、彼女は金貨を投げ捨てます……そして少女は荒廃した町をさまよい果てて倒れ、砂漠の砂のような火山灰に埋もれていきます……そうして詩は、こう結ばれます。
旅人の袖にふれなば移り香の、消えもやらざるあわれさに
人は名づけぬヘリオトロープ
あわれ、その花の持てる言葉は
―献身を意味ししかして、執着を表わすも悲しからずや
ヘリオトロープの花言葉は執着、この奴隷の少女に痛いほど共感してしまうわたしはそれが気に入り、この花の実物を見たことがありませんが、一体どんな香りがするのだろう?と思いを馳せ、明治や大正にあったというヘリオトロープの香水にも浪漫を感じ、ヘリオトロープイコール大正浪漫を象徴する花と思っています。
気分を変えて、ですます調で書いてみたが、関東大震災というと、わたしは信子先生の「ヘリオトロープ」を思い浮かべるという話。
これで終わりにしてもいいが、「大正の日本人」という本に載っていた、芥川龍之介が見たという大震災の前兆の話も興味深い。
そのころ、芥川龍之介は久米正雄と鎌倉へ行き、平野屋別荘の客となった。座敷の軒先はずっと藤棚で、そこにちらほら紫の花房が垂れていた。八月に藤の花が咲くとはこれは年代記ものだ、と芥川は思った。
そればかりか、御不浄の窓からも八重咲の山吹の花が見える。これまた狂い咲きである。その上、小町園の庭の池には、蓮の花に混じって菖蒲が咲き競っている。晩夏の藤房、八重山吹、花菖蒲と数えてくると、どうもこれはただごとではない、とさらに芥川は思った。「自然」に発狂の気配があると思った彼は、以来人の顔さえ見れば「天変地異が起こりそうだ」と言った。
しかし、久米も、ほかのだれも相手にしてくれなかった。これまた一週間後に事実となる、天才作家の予感エピソードである。