浪漫草紙

~生れる前の昔恋しき~

好きな小説の話~薔薇と菫と~

好きな小説の話。
決して名高い名作ではなく、良い影響を受けたとか、そんな類でもないけれど、人生で最も繰り返し読んだといっていい。ある意味、座右の書。
通して読むこともあれば、パラパラと開いて詩集のように一部を読み返したりとか。

それは…岩井志麻子の「女學校」。
この作者の明治や大正が舞台の作品はたいてい読んだから、この「女學校」はこの作者にとっては、らしくない作品なんだろうと思うが、わたしはこれが一番好きだった。
<好きだった>と過去形でいったが、今もって、良いと思う、最近もまた通して読んだから、この作品について書きたくなった。
女學校…というからには吉屋信子的な何かを期待して買ったような気もするが、それもまぁ、まったく無きにしもあらず、というところ。

文庫本では千代紙のような綺麗な表紙だけど、図書館で見た単行本の表紙は少女二人の暗い絵だった。

裏表紙のあらすじでは、<美しくも残酷なゴシック・ロマン>、解説では夏目漱石の「夢十夜」のようといわれているが、わたしはどちらもしっくりこない。

ゴシックって…わたしの適当な解釈では、洋館を舞台にした怖い話(ざっくり!)、いわくありげな洋館に魑魅魍魎のような当主がいたり、幽霊騒ぎなどの怪異が起きるとか、実は幽霊ではなく開かずの間に誰かが幽閉されていたとかなんとか、そんなイメージ、ゴシックって。

あわせ鏡の中に無数に映る虚像…どこからどこまで虚像で、どれが実態だかわからなくなるような、あわせ鏡の迷宮のような話。

登場人物は<花代子>と<月絵>という二人だけ。
<花代子>が自分の通った女学校について語るけども、<月絵>がそれを覆すような話ばかりする、「わたしたち、実は女学校に通ったことなどないのです」と。

この小説の大正浪漫溢れる文章が好きなのだった。

 

<異国の教会をも想起させる、眩い大きな窓。レェスのカァテンは乙女のリボンのように揺れ、指し込む光はあの女学校の磨きこまれた廊下に落ちていたものと同じです。どこからか風に乗って流れてくる、澄んだ口笛。あれは「人を恋うる歌」かしら。>

 

<舶来のドレスや首飾りは、ウィンドゥの硝子越しに瑠璃色に照っています。流れてくる物悲しい旋律は、ヴァイオリンではなく三味線でしょう。軒先に吊られた籠の背黄青鸚哥は、通り過ぎる粋な芸者よりも達者に歌います。幌に商標を大きく染め抜いた麦酒の配送自動車は、滑るように石畳を行きます。流行の元禄模様の着物の奥様の隣には、これもまた流行のシルクハットを被った旦那様が気取っている。>

 

とまぁ、好きなところを抜き出せば、こんな感じで、これと似たような文章が変奏曲のように、繰り返し出てくる。初めはそれに酩酊していたと思う、うっとりしてた。

この小説が好きなあまりに、これを映像化や舞台化する空想までしていた。さすがに脚本まで書いていないけど、それほどに思った小説は他にない。

この作品世界に浸ることが逃避だった。

ついでにいうと、「女學校」の文庫本を二冊持っていた。そんな風に同じのを二冊持っていた本も他にない。

これを読んでウィリアムソン・マゴォ社の紅茶と薔薇のジャムと菫の砂糖漬けに憧れた。
薔薇のジャムは濃い橄欖色(オリーブ色)の壜に、菫の砂糖漬けは薄い檸檬色の壜に入っている、というのも色彩的に素敵。
菫の砂糖漬けって、いいお値段…。アマゾンでデメルの38g入りが4980円…。
薔薇のジャムのほうが、まだ手が出そうか…それでも普通のジャムよりは高い。