浪漫草紙

~生れる前の昔恋しき~

「月の裏側」を読んで思ったこと

はてなブログに記事を書くと、何か示唆が与えられるらしい。
「月の裏側」を読んで、本当はこんなことも思っていた。

物語の終盤で、主人公はこう言う。

「僕たち、三人ともマジョリティに返り咲きさ」

わたしが思ったことと、物語の筋とは全く関係はない。

マジョリティ…返り咲き…。
マジョリティとは多数派、そしてマイノリティは少数派。

マジョリティとマイノリティの違いとは、ただ数の割合の問題だけなんだろうか…何かのはずみで?マイノリティがマジョリティに逆転することがあるんだろうか…そんなことをふっと思った。

わたしはいつだってマイノリティの側にいると感じていたから。
マイノリティ…少数派といったが、それは、存在しないと思われている、といってもいい。

ジェンダーがどうの、多様性がどうのと(物凄くふんわりとした認識)、世の中は変わりつつあるのだろうが、田舎の小さな町では何も変わらず、何も表面化せず、わたしの身近の現実世界では、恋愛対象が異性なのが当たり前だと(いや、当たり前以前だというべきか)思っている人たちばかりで、そうでない人など、自分の身近にいるわけないと、きっと皆、思っている。
わたしは、周囲の人々に、いるわけないと思われている側の人種だと…そんなことをふとブログに書いてみたくなった。(なんのカミングアウトや…)


「まひるの月を追いかけて」に、こんな一節があった。

<私はつねづねそういう女たちに憧れていた。女という生き物であることに何の疑いも持たない女。会社のロッカールームでカタログを回し読む通信販売では、必ず世間多数の女がいいと思うものを自然に選び、お稽古で先生に幾ら包むかさりげなく相談できる、感じのよい、爪の手入れが上手な女たちに。>

共感してしまうんだろうか…女という生き物であることに何の疑いも持たない女、の辺りとか。