浪漫草紙

~生れる前の昔恋しき~

積読を消化する日々

O田陸を再読する夏…
結局、今のところ読めたのは3冊か…

主に、かつて読んだ(そして手放した)O田作品をまた読みたくなって、いろいろ買っていて、それは二十年近く前の作品ばかり。

が、それだけでなく、積読は増やすまいと思っていたのに、その後、ブッ〇オフで去年出た単行本「鈍色~」を見つけて、定価とそんなに変わらない価格だったけど、好みかもしれないと思って買っていて、昨日、読み終わった。
それは、作中作といわれる作品も単行本で出ていて、それも好きかもと思って、読み終えたら買おうと思っていたが…「鈍色~」を読み終えた今となっては、買わなくてもいいや…と興味が失せてしまった。
その作品は連載期間15年と帯に書いてあったが…15年も書いて、これ…………?という感を禁じ得ない。
どういう感かって…呆れ返ってしまって、ある意味、驚く…そんなところか。

この著者は構想期間や連載期間が10年以上というのは珍しくないようだが、わたしはそんなに連載期間が長い小説を読むのは初めてだから、どんなものかと多少は期待するではないか…。
なんというか、やっぱり昔の作品のほうが好きなんだと思う、昔の作品のほうが、心に爪痕というか…何か残るものがあった…ように思う。

heliotrope.hateblo.jp

…というか、この記事↑の写真の積読本の中で唯一のノンフィクションの「女帝」のほうが、よほど空恐ろしくて、呪いの本だの、呪いの映画だのいわれても、あほらし…と完全に白けてしまっていた。

読み合わせが悪かったか…食べ合わせじゃあるまいに。

O田作品をまた再読したいと思ったきっかけは、「遠くへ行きたい」で兼六園に行っているのを見て、無性に「ユージニア」を読みたくなったから…そして、最近は寝る前に「まひるの月を追いかけて」をゆるゆる読むのを楽しんでいた、今の寝る前のゆるゆる読書は「蒲公英草紙」か、これ過去に読んだと思っていたけど、読んでいなかった、そしてとても好みな作品。

現代が舞台の小説ばかり読んでいると、大正時代や昔の小説が恋しくなる。

なんというか…携帯電話やネットが出てくる小説に、わたしはロマンを感じない、と思い込んでいる。何かをすぐに調べて(といっても検索は、調べるうちに入らないだろう)知ることが出来たり、すぐに連絡が取れたり…というのはドラマがない、と思っているらしい。